コラム コラム

広島平和記念碑(原爆ドーム) - コラム -

原爆で消え現代に蘇った

広島城の歴史

広島城は、戦国時代末期の1599(慶長4)年に毛利 輝元(もうり てるもと)が築いた五層楼の天守閣を持つ平城です。別称は「鯉城(りじょう)」。1953(昭和28)年に国の史跡に指定されており、2006(平成18)年には、日本100名城の一つにも選定されています。

築城の翌年1600年、関ヶ原の戦いで敗れた西軍の総大将であった輝元は、徳川家康の命令により周防・長門(現在の山口県)へ移りました。そのため、広島城主は、福島氏、浅野氏と移り変わりましたが、広島の街は、山陽道の通過点として、広島城の城下町として、発展していきました。

広島城 広島城 「広島城」写真提供:広島県    

明治の初め、廃藩置県により、本丸には広島県庁がおかれました。
1894(明治27)年に日清戦争が勃発、広島城内に日本陸軍の最高統帥機関となる大本営が設置され、ここを軍事拠点として、様々な軍の施設が集まって行きました。翌1895年には、指揮を取るために、明治天皇もここ広島に移り、臨時の帝国議会も開催され、広島は臨時首都となりました。
広島に大本営が設置されたのは、大型船の出入りが可能な宇品港(現在の広島港)が開港し、山陽鉄道が神戸から広島まで開通、広島駅と宇品港を結ぶ軍用鉄道も開通し、軍事輸送が容易になったことなどがあります。現在も広島大本営の跡として、基礎や基石、石碑があります。

広島城 広島城 「広島城」写真提供:広島県    

1939年に第二次世界大戦が勃発、当時日本は日中戦争中でしたが、日独伊三国軍事同盟を結び、1941年12月にハワイの真珠湾を攻撃。これにより、日本とアメリカは太平洋戦争に突入します。
1945(昭和20)年8月、このあたりに軍事施設が集中していたことから、アメリカ軍による広島市への原子爆弾投下の破壊目標地点となりました。広島城は爆心地から約1キロメートルに位置し、江戸時代から残っていた天守や櫓、城門は、広島城内にあった軍事施設とともに、一瞬にして破壊されたそうです。

現在の天守閣は、戦後の高度経済成長の中、1958(昭和33)年に市制70周年を迎えるにあたり広島復興大博覧会の開催が決まり、広島平和記念資料館開館と共に鉄筋コンクリート構造で外観復元されたものです。また、築城400周年・市制100周年を機に1989(平成元)年から改修工事が行なわれ、1994(平成6)年に、木造により二の丸の建造物も江戸時代の姿に復元されました。現在、緑が茂る広島城は、歴史博物館として多くの人々へ親しまれています。

平和記念資料館 平和記念資料館 「平和記念資料館」写真提供:広島県

広島城の春は桜、秋は紅葉と四季を通して異なる景色を見ることが出来ます。夜にはライトアップされる時期もありますので、昼間だけではなく夜の広島城もおすすめです。広島平和記念碑(原爆ドーム)に訪れた際には、是非、広島城にもお立ち寄りください。

音声ガイドでは、世界遺産に登録されている広島平和記念碑(原爆ドーム)の他にも広島平和記念資料館、広島城や縮景園もご紹介しています。ぜひ、アプリとブックをダウンロードしてお試し下さい。

世界遺産巡りのパートナーに!
SkyDesk Media Trek
世界遺産音声ガイド
アプリをダウンロード
して試してみよう!

※Apple および Apple ロゴは米国その他の国で登録された Apple Inc. の商標です。App Store は Apple Inc. のサービスマークです。

※Android、Google Play、Google Play ロゴは、Google Inc. の商標です。

アプリをダウンロードして試してみよう!
  

※Apple および Apple ロゴは米国その他の国で登録された Apple Inc. の商標です。App Store は Apple Inc. のサービスマークです。
※Android、Google Play、Google Play ロゴは、Google Inc. の商標です。

MENU